今できること

「十人十色」

こんな小学1年生でも書けそうな簡単な四字熟語は他には恐らくないだろう。たった12画のそれは他のどれよりも自分を一番上手く表現してくれている。私は人と同じが嫌い、というよりも、自分の色がたまらなく好きだ。協調性が重んじられるのは日本社会のいい所ではあるが、残念ながら時に個性や自己主張は押しつけがましく見られてしまい、若さゆえにその境界線が分からずに頭を打つこともしばしばあった(今ははっきり線が見えています、大丈夫!)

しかしどんな人生を送っていても、この世に生を受けた瞬間から誰もが背負う運命がある。漢字一文字、ひらがなで書けばたった一画だが、そのシンプルさとは反対に言葉の響きはとても重い・・・

「死」:唯一の差はその時が遅いか早いかのみ。これだけは誰にも避けられない。

自分で言うのも何だが、それなりに女っぽい見かけ(あくまで自称←言うのはタダ!)なのに性格が男っぽいからか?昔から男友達の数が断然多く、アントンもその一人。ミネソタ州からの交換留学生だった彼は大阪がえらく気に入ったらしく、卒業後に英語の教師として戻ってきた。学生時代は密に連絡を取る友人同士でも、一歩社会に出て自分の生活ができれば疎遠になることはよくあるが、彼と他数名の友人とは連絡を取り続け、定期的に遊びにいく仲だった。

ちょうどポケベルに代わり携帯電話やPHSが一般人や学生にも普及し始めたその頃、以前にまして連絡が取りやすくなっていた。ちょうど朝までのバイトを始めたところで(若かったから出来たんです、今やったらぶっ倒れるわ~)、一週間で一番忙しい土曜勤務を終え、日曜朝の帰宅後に留守電チェックすると、アントンからのメッセージ。「元気かー?別に用事ないねんけど、どないしてるかなぁと思って。どうせ忙しくしてるやろうから、時間のある時に電話してなー!」といつもの明るい調子。夜中の仕事に酒が加わると翌朝にドッと眠気が襲う。その日も布団でウトウト・・・起きたら電話しよう、そう思いつつ数日が過ぎていった。

その翌週の木曜日、バイト先に向かう電車の中でいざ携帯電話・・・とカバンの中に手を突っ込んでも、見つからない。当時の携帯の画面は12文字x2行、電卓に毛の生えたような仕様で、インターネットどころかゲームすら付いてなかった。テキストメッセージ(ショートメール)が打てる訳もなく、これは家に忘れて出てきたな、と諦めてそこまでゴソゴソ探すこともしなかった。そんな日に限って大事な連絡があったりするもので、仲良しグループの一人が「携帯に電話しても繋がらへん」と104で私のバイト先の電話番号をわざわざ調べて連絡をしてきた。何事かと思ったら、

「アントン、死んだよ。」

「え?」

「アントン、亡くなったのよ。」

何回聞いても同じ答えしか返ってこない。しばらく沈黙。足元に置いてあったカバンがブルブル震えている。家に忘れたと思ってた携帯、入ってるやん・・・。留守電には同じ友人からの訃報が残っていた。

とてもまじめな性格のアントンは、仕事も毎日定刻に出勤、職場でも信用される存在だったらしい。そんな彼が週明けに初めての無断欠勤。4日も続いたので気になった同僚の先生方が管理人さんにお願いしてマンションを訪ねると、電気を付けたまま留守。帰って来たときの為にテーブルにメモを残して(恐らく「連絡下さいね」と書いてあったのだろう)去る直前に、一人の同僚がトイレを借りようとドアを開けたら、そこにうずくまるように眠っていたらしい。足元にはスプレーが転がっていた。そう、彼は喘息持ちで、小児喘息があった自分とはよくその話をしていた。彼の訃報に伴い急遽アメリカから来たお母さんとお姉さんも、症状の重い彼を心配し、一人異国で暮らす間にいつかこんな日がくるのではと心の底では思いながらも「本人が進むと決めた道を応援してあげたかったから、悔いはない」と、とても気丈におっしゃっていた。

解剖の結果、亡くなった推定時刻は日曜の夜中~月曜早朝。アントンから留守電をもらってからたった24時間後の出来事だった。どうして先送りにせずすぐに電話を返さなかったのか?病状を考慮すると、自分にかけてきたのが彼の最後の電話だったかもしれない、と思うと11年以上経った今でも悔やみ切れない。

ちょっとした揉め事がきっかけで連絡を取らなくなり、どちらかが歩みよらない限り疎遠になる人間は山ほどいる。用があれば向こうから連絡してくるからと、こちらからの妥協がなかなかできなかったりするもの。アントン本人はきっと天使のお迎えがこんなに早くやってくるとは思っていなかったと思う。時に神様のご計画は我々人間の想像と理解を超えるものだ。彼の死から学んで以来、過去にどんなことがあったとしても、ふと頭をよぎった人には思い切って連絡をすることにしている。きっかけは何でもいい。それで「連絡してこないで」と言われれば残念だけれどその時は仕方がない。でも自分からの少しの歩み寄りで相手の元気な声が聞ければ、それだけで十分なのでは?

大阪をこよなく愛したアントンの為に、お母さんは遺骨の半分を日本の共同墓地へ残し、残り半分を故郷の地へ連れて帰られた。彼の故郷アメリカに滞在しながら、この記事をきっかけに今ふと思う、「次の帰国時には彼の眠る共同墓地を訪ねよう」と。

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